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北山ダム(ほくざんダム)は、佐賀県佐賀市、一級河川・嘉瀬川本川最上流部に建設されたダムである。 農林省九州農政局が建設した農林水産省直轄ダムで、現在は農林水産省の委託を受け佐賀土地改良区連合が管理を行う高さ59.3メートルの重力式コンクリートダム。佐賀県内では初めて建設されたコンクリートダムで、佐賀平野へのかんがいと水力発電を目的にした治水(洪水調節)目的を持たない多目的ダムである。2011年(平成23年)に直下流の嘉瀬川ダムが完成するまでは、佐賀県最大規模のダムである。ダムによって形成された人造湖は北山湖(きたやまこ)または北山貯水池(ほくざんちょすいち)と呼ばれ、佐賀県民のみならず福岡県民などの保養地になっている。 == 沿革 == 江戸時代、佐賀藩鍋島氏35万石の収入の基盤であった佐賀平野(白石平野)は、九州北部の穀倉地帯として古くは成富茂安による河川改修を始め、かんがいや堤防建設による治水・利水が行われていた。これにより佐賀平野における耕地面積はさらに拡大していったが、嘉瀬川は天井川でもあったため旱魃の際には容易に流水がほとんど途絶する状況であり、根本的な農業用水確保は流域の悲願であった。 昭和に入り、物部長穂により発案され内務省が実用化させた『河水統制事業』は、九州では小丸川で着手されたが嘉瀬川においても1934年(昭和9年)頃より構想に上っていた。だがこの間太平洋戦争などがあり事業の実施には至らず、戦後になって本格的な事業検討がなされた。折から極度の食糧不足に悩む農林省は1947年(昭和22年)より『国営農業水利事業』を大井川・九頭竜川・野洲川・加古川の4水系で実施し始めたが、佐賀平野の稲作促進を図るため、農林省九州農政局は嘉瀬川本川上流部の佐賀郡富士町〔現在の佐賀市富士地区。〕井田地点に農業用ダムを建設し、新規の農地開拓促進を目指した。 こうして1950年(昭和25年)、農林省によって国営嘉瀬川農業水利事業が計画され、その根幹施設として建設が行われたのが北山ダムである。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「北山ダム (佐賀県)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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